残念石を活用したトイレ「Trace of Earth / 地球の形跡」
石に導かれてはじまった挑戦
3人がチームとして動き出すきっかけとなったのは、大阪・関西万博に向けたトイレの建築提案コンペでした。
「もともとは、石を使った家具づくりをしていたんです。その延長で、もっとスケールの大きなものにも挑戦できるんじゃないかと思っていて。ちょうど万博という舞台があったので、建築として形にできないかと考えました。ただ、公共性のあるプロジェクトを一人で進めるのは難しい。そこで、竹村さんと小林さんに声をかけて、チームで取り組むことにしたんです」(大野さん)
大野宏さん
「巨石を使って空間をつくる」というアイデアからスタートしたこのプロジェクト。設計を検討していた中で、大野さんが偶然見つけた一本の記事が、計画を大きく動かすことになります。
「コンペの提案を出すタイミングで、バイパス工事のために石が埋まってしまうという新聞記事を見つけてくれたんです。そこで、もしかしたらこの石を使って建物が建てられるのでは?という発想が生まれました。コンペ通過後は、実際に石を借りられる場所を探して、枚方の河川事務所の裏に残念石があるという情報を見つけて相談に行ったところ、たくさん埋まっていると教えていただいて」(小林さん)
小林広美さん
関係者との交渉を重ねる中で、「万博で使いたい」という想いが伝わり、少しずつ石を引き上げることができるようになったといいます。
「今回使わせていただいた残念石は、1620年頃に大野山から切り出され、木津川にストックされていたものです。その後、堤防代わりに使われていたものが1975年に見つかったそうです。今も大野山付近では、当時の人々の刻印が残る石が見られる場所もあるんですよ。もともとこの場所には100個ほどの石が川の中に埋まっていたそうなんですが、すべてを引き上げるには費用もかかるため、私たちはその中からまず11個を地上に上げてもらい、そのうち5個を万博会場へ運びました」(竹村さん)
竹村優里佳さん
現代の“石祭り”──運ぶことでつながる人とまち
このプロジェクトには、もうひとつ大切な意味がありました。それは、「石を運ぶ」という行為そのものに価値があるということです。
「残念石をただの建材として使うのではなく、その背景や地域の記憶ごと建築に取り込もうと考えました。大阪城の築城の際も、大きな石を運ぶのは“祭り”のような行事だったといいます。だから今回も、“現代の祭り”のような気持ちで石を運びたかったんです。
誰の得になるわけでもなく、すごく大変な作業でしたが、それでも“やりたい”と思わせてくれる力があの石にはある気がして。実際、やっていると周りの人が自然と手伝ってくれるんですよね。わくわくするような、前向きな空気がありました」(竹村さん)
「石を目の前にすると、利益なんて関係なく、“おもしろいからやろう”って思わせる力がある。それが残念石の魅力」と語る大野さん
石を運ぶという行為が、人と人をつなげていく。そのプロセスのなかで、関わった人たちがいつの間にか“当事者”になっていく──そんな手触りのある時間こそが、このプロジェクトにとって欠かせないエッセンスだったのかもしれません。
“ありのままの石”が語る、時間を超えた建築
今回のプロジェクトでとりわけ印象的なのは、「残念石」を加工せず、そのままの形で建築に取り入れた点です。
「もともと家具づくりの中で、石が持つ質感やかたちなど、素材の力を尊重しながら設計してきました。今回はその経験を活かして、石の形を3Dスキャンでまるごとデータ化し、“ぴったりはまる”ように設計しています。その技術を建築にも応用しました」(大野さん)
「自然のかたちを活かす建築は、かつての神社や古民家では当たり前のように行われていました。でも、今の建築基準法のもとでは実現が難しくなっています。今回は新しい技術と設計の工夫がうまくかみ合って、“ありのままの石を建築に取り込む”という挑戦がようやく実現しました。忘れられかけていた風景や、少なくなってしまった職人の技を、私たちなりの形で取り戻すことができたと思っています」(竹村さん)
そのままの姿を残した残念石が柱として使われている
石の物語が息づく、“使いやすいトイレ”のかたち
舞台は、世界中の人が訪れる万博の「トイレ」という公共性の高い空間。設計チームには、動線設計や衛生面、ジェンダーへの配慮など、さまざまな工夫が求められました。
「万博の会場では、トイレにも行列ができます。だからこそ、“待つ時間”も空間体験のひとつにしたいと考えました。外構や動線には残念石を活かし、さらに石の背景を伝えるパネルも設置。空間全体で物語を感じてもらえるように工夫しています」(大野さん)
敷地が円形だったこともあり、レイアウトは何度も話し合いを重ねたそうです。
「バリアフリー対応のアクセシブルトイレは、外から入りやすい場所に配置しました。女性用・ジェンダーレス・男性用のトイレは適切に分散し、特に女子専用トイレとオールジェンダートイレが並ぶと列が複雑になるため、並び方にも配慮しました。手洗いの場所も各ブースに近く、動線を意識して設計しています」(竹村さん)
「トイレそのものはシンプルに構成していますが、子連れや介助が必要な方のことを考え、機器の配置にはとても気を配りました。当初の仕上げ材は予算の都合で一部変更しましたが、防水性の高い床材に切り替えるなど、清掃のしやすさは常に意識しました。土間仕上げにしつつも、意匠と実用性のバランスをとっています」(小林さん)
誰もが安心できる空間を目指して
設計チームには、男性・女性の両方が在籍していたこともあり、多様な視点が自然と反映されていました。特に、「サニッコ」の導入は大きなポイントだったそう。
「男女混合のチームだったからこそ、いろんな目線から意見が出せたことは大きかったです。とくに『サニッコ』は中身が見えず、プライバシーが守られる衛生ボックスなので、ジェンダーレストイレにも安心して設置できます。“女性としてこれはぜひ取り入れたい”と、実感を持って提案できました」(竹村さん)
「最低限の設備でシンプルに計画していたからこそ、『サニッコ』の導入は本当にありがたかったです。私自身、日常的にも“あると助かる”と感じていたので、個人的な実感としても強くおすすめしたいと思えました」(小林さん)
コンパクトで洗練された空間に設けられた「サニッコ」
「今回は他の若手建築家のチームにも、私から『サニッコ』のことを共有したんです。設計者は男性が多いこともあって、女性にとってこうした配慮がどれだけ大切か、伝えることができたのは意義深かったですね。建築をつくるだけでなく、“誰のためにどう設計するか”という視点で参加できたことも、大きな学びになりました」(竹村さん)
建築で伝える、次の世代へのメッセージ
このプロジェクトを通じて、3人の建築家が目指したのは、建物をつくることだけではありませんでした。「社会との対話」や「価値の再発見」というテーマにも取り組んでいたのです。
「私はまだ現地で使われている様子を見られていないのですが、実際に石の前に立っていただけたら、きっとその存在感や力が伝わると思うので、ぜひ多くの人に足を運んでいただきたいです」(小林さん)
「万博そのものについては、賛否や疑問の声もあると思います。でも、僕たちは“目先の利益ではなく、次の世代に体験や記憶を残すこと”に価値があると信じています。大きな石を見て、触れて、その空間を体験する──。そんな体験が、10年後、20年後に、子どもたちの記憶に残ってくれたら嬉しいです」(大野さん)
「今回、石を通じて多くの人と出会い、対話していく中で、『建築は建てて終わりじゃない』と強く実感しました。建てるまでの過程や、建ったあとに続いていく会話のひとつひとつが、未来への扉を開いてくれるんだと思います」(竹村さん)
“そこにあるもの”と生きていく建築へ
最後に、「残念石」という素材と真摯に向き合ってきた3人に、これからの展望を聞きました。
「今回のように“そこにある自然物”の魅力を建築を通じて引き出していく。そんなプロジェクトを、これからも続けていきたいです。今は奈良を拠点に、高野山などの自然や歴史に寄り添った建築にも取り組んでいます」(竹村さん)
「僕は昔から、“現地の人と、現地にあるもので建てる”というスタンスを大切にしてきました。今回の残念石も、地元の石で、地元の人たちとつくったもの。建築は、生きるための道具。暮らすこと=生きること、その延長に建築があるんだと思っています」(大野さん)
「ふだんは住宅の設計が多いので、今回のような公共建築、それも“残念石”という特殊な素材を使ったプロジェクトに関わるのは初めてでした。でもその分、人との関わりや、設計への向き合い方を見直す大きなきっかけになりました。今後も“対話から生まれる空間”を大切にしたいです」(小林さん)
長い時を経て、ようやく陽の目を見た「残念石」。
この場所を訪れた人の中に、小さな驚きや発見が生まれたなら――。それこそが、建築家たちがこのプロジェクトに託した願いなのかもしれません。
ぜひ、大阪・関西万博の会場で、彼らの想いに触れてみてください。
(写真左から)
竹村優里佳さん/Yuricadesign & Architecture 主宰
東京の設計事務所で経験したのち独立し、現在は奈良とサンフランシスコを拠点に活動。
「OpenNostalgia」という過去を未来へ開いていくための要素と捉える思想のもと、土地や人との関係を丁寧に見つめ直しながら、自然と共に未来へと受け継がれていく建築のあり方を探っている。
https://www.yuricadesign.com/
大野宏さん/特定非営利活動法人Studio on_site 代表
学生時代から海外各地で建築活動を行い、フィリピンやインド、アフリカなどに滞在し、現地の素材や人と共につくるプロジェクトを展開。「人間らしい営み」を支える建築のあり方を追求している。
https://www.studioon.site/
小林広美さん/studio m!kke 一級建築士事務所 代表
地元・滋賀県の設計事務所で経験を積んだのち独立。日々の暮らしに寄り添う空間づくりに取り組み、一人ひとりと丁寧に向き合いながら、心地よさと機能性を兼ね備えた住まいをかたちにしている。
https://www.studio-mikke.com/
※2025年6月時点の情報です。
取材/文:田口みきこ
撮影:品田裕美